2ちゃんねる譲渡は本人が予言していた?

2009 年 1 月 5 日 コメントはありません

2ちゃんねるは管理人であるひろゆき氏から第三者に譲渡されたようである。

2ch譲渡 : ひろゆき@オープンSNS

2009-01-02 07:07:00
2ch譲渡
そんなわけで、去年は何度も海外出張して2ch譲渡の打ち合わせをしてたりもしてたんですが、ようやく譲渡完了しましたよ。。と。

http://info.2ch.net/guide/faq.html#A2

ひろゆき氏がポストしてからあらゆる憶測がネットで流れた。

「2ch が海外企業に譲渡」を詳しく調べてみた。 − iemoto BLOG

シンガポールの登記簿でのDirector表記に関する補足 − iemoto BLOG

2ちゃんねるがひろゆきから謎の会社「PACKET MONSTER INC.」に譲渡完了、その正体を探る – GIGAZINE

どのような条件で譲渡されたかは公表されていないため、真相は薮の中である。

ほとんどのユーザにとっては当面は影響がないのではないだろうか?

2ちゃんねるは譲渡まえもひろゆき氏一人だけで管理しているわけではなく何人かの管理者により発言の削除やアクセス規制を行っているようである。

裁判を起こさない多くのユーザにとっては当面は何も変わらずに運営されていくのではないだろうか?

自著での予言していた?

今回起こった件についてひろゆき氏が著した「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」を読んだほとんどの人はこのニュースを聞いて「やっぱり」と思ったのではないだろうか?

すくなくても自分はそう感じた一人である。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。

p.13 L5 から引用

仮に僕が逮捕されてしまい、2ちゃんねるが閉鎖されてしまったとしましょう。しかし2ちゃんねるのような場所の需要は必ずあるので、違う形で新たな2ちゃんねるが作られてしまいます。しかも、その形を変えた2ちゃんねるをアメリカ人が作ってしまうと、本当に日本の法律が適用できない場所になってしまう。つまりは、日本人にとって犯罪予告し放題の掲示板の完成です。

アメリカ人が2ちゃんねるの管理をしているのであれば、まだなんとかなるかもしれないですが、台湾や北朝鮮で2ちゃんねるのサーバーをコントロールされてしまったら、どうしようもないという状態が起こるのです。

日本で違法とされていることが、何でもできてしまう掲示板が作られるのを許すのか、協力しろと言われれば協力する現状を取るか。どちらがよりよい選択なのかは、頭のいい人であれば、わかることでしょう。

正直、自分はひろゆき氏はどちらの方が「頭のいい人」の選択なのか文章からは読み取れない。しかしながら今回の行動で『何でもできてしまう掲示板が作られるのを許す』ことを選択したのかと考えてしまう。

p.16 L9 から引用

僕が逮捕されて、2ちゃんねるが運営できなくなってしまったとき、ジムは、僕のドメインの管理者でもあるので、「じゃあ俺やるわ」と、僕に代わって運営を始めるのではないかと思っています。そして、何もなかったかのように2ちゃんねるの日常は続いていく……。

その後、アメリカの法律でも制限されるようになったら、「じゃあ次はどの国にしようか?東欧にでも行ってみようか?」ということになります。2ちゃんねるの根幹にあるものは、僕個人がどうにかできるものではなく、もともと止められない状況にあるのです。できることといえば、自分のパソコンから2ちゃんねるのサーバーにログインしてデータを一生懸命消すぐらいでしょう。

最終的に2ちゃんねるは、聞いたこともない国の、誰ともわからない人が運営しているという未来があるのかもしれません。

海外で運用することになれば法律のしがらみから逃れられるとひろゆき氏は考えていたようである。

また自著だけでなくシンポジウムに参加したときもこの主張に沿うような発言をしていたようである。

壇弁護士の事務室: 2ちゃんねる譲渡

その気になればアンコントラーブルにしていくことは可能である。かつて大阪のシンポジウムでひろゆき氏も言っていたことである。

…時代の流れなのであろうか。

本当にアンコントラーブルになるのだろうか?

実際には、シンガポールの会社に譲渡したようだが、日本の法律はある程度は考慮されるようである。

この点の法律的な話は下記のURLにてまとめられている。

「2ちゃんねる」の譲渡について、今後の裁判などに与える影響を顧問弁護士に尋ねてみました – GIGAZINE

このURLを参照する限り、本当にひろゆき氏が2ちゃんねるに関わりがないと証明されない限りひろゆき氏が被告人になる可能性があるように(少なくても自分には)読める。

なぜ?

頭のいいひろゆき氏は、この点も考慮して譲渡を行ったのではないだろうか?

先に参照した文献にはなぜ2ちゃんねるの管理人を続けれるのかを説明した文章がある。

「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」 p.175 L15 から引用

2ちゃんねるを手放してもいいと言ったこともありますが、2ちゃんねるを手放すには、さまざまな作業を行わねばなりません。継続していくことの方が手放すより簡単なのです。一度結婚してしまったら、離婚する方が面倒なのと似ています。現在、2ちゃんねるの管理人を行ううえでのルーチンワークは、手放してもいいと言ったときに比べ、本当に少なくなりました。
最初は、裁判にも行っていたのですがあるとき寝過ごしてしまってから、何も変わらないことに気づいていしまいました。社会的責任を果たせない人なのではないかと、心配してくださった方々も中にはいたのですが、そもそも僕の事を社会的責任のある人間だと、みなしている人は少ないのです……。

真相はこうだと主張するつもりは全くないが、ここから、裁判逃れのために譲渡したわけではなく、2ちゃんねるの管理が負担に感じるようになったから、手放したくなったのではないかと推測することもできる。

ニコニコ動画やその他の仕事に時間を取られるようになり、2ちゃんねるの管理に物理的な時間が取れなくなったり、モチベーションが保てなくなったから譲渡したという部分もあるのではないだろうか?

2ちゃんねるはどうなるのかな?

自分は2ちゃんねるの将来についてどのようになるかは想像できない。
ひろゆき氏というイコンを失った2ちゃんねるは衰退するかも知れないし、新しく引き継いだ管理会社がより一層サービスを充実させることによりさらに発展させるかも知れない。

これも同書で予言めいたことを書いている。

「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」 p.252 L11 から引用

さて、2ちゃんねるというのは僕が個人でやっているものなので、僕がやめたりすると”2ちゃんねる”というものはなくなると思うのですね。

それは僕が運営する”2ちゃんねる”がなくなるだけであって、人がいろいろな事に対して会話する場所というのは、名前を変えてまた別のものが生まれると思います。人々が自由に情報交換することを良いことだと思わない人たちにとっては、こおういった2ちゃんねるのようなものは存在しないようにしたいと考えているんじゃないかと思うのですが、需要のあるものを規制するのはなかなか難しいと思うのですよ。

表面的に禁止したとしても。新しい問題が出てしまうだけだと思ったりします。

2ちゃんねるのひろゆき氏の時代は終わると考えていいのではないだろうか?

最後に

このエントリーでは過去にひろゆき氏が著した「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」を元に今回の譲渡について考察をしたものであるが、自分の考察が全く正しいと主張するつもりはない。

ただ、本書においてひろゆき氏が主張していた事は今回の譲渡の件で行ったことを裏付ける何かがあると感じたから書いた。

自分以外にも多くの人がこの件について考察を行っていると思うが、その考察の足しになれば幸いである。

また、今まで多くの人に自由に情報交換ができる場を長い間提供してくれたひろゆき氏には感謝したい。

カテゴリー: 2ちゃんねる タグ: ,

2008年末に起こったこと

2008 年 12 月 31 日 コメントはありません

2008年は、金融危機が発生し、その余波で日本にも労使問題などが発生した。

2008年12月31日の大晦日、立場の弱い派遣の人たちを支援するために派遣村が日比谷公園で開村された。

日比谷公園、「派遣村」開村式で感じたこと – 保坂展人のどこどこ日記

福島みずほのどきどき日記 派遣法の抜本改正を!

BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」 派遣村で300杯の年越しそばを作りました!

一日も早くこれらの労働問題の解決を望む。一人でも経済的に安定すれば、それだけ日本の景気回復は早くなるのだ。いま、お金を持っている人もあまり積極的に使う人がいないのは暗いニュースが多いからだと思う。

自己責任という美名の下に、大企業の横暴を許してはいけないと思う。なぜなら大企業は人に製品を売ることで利益をあげるはずだが、その雇用者を人間扱いしているとは自分には思えないからだ。

その企業が今危機的な状況にあるのであればいざ知らず、いまは内部留保でお金があるのに何の補償もなく解雇するのは不当だと思う。

そのような状況で「派遣村」のボランティアや関係者、協力者には本当に頭が下がる思いである。

国際的なニュースでも様々な暗いニュースがある。特にイスラエルを中心とした中東問題はなかなか解決が難しいようで暗い気分になる。

P-navi info : ガザからの緊急メール 1

また大晦日のこの日スペインでは爆弾騒ぎがあった模様。

Spain: Bomb blast in Bilbao after ETA warning

2009年はもう少しだけでもいいので2008年よりよい世界になりますように。

カテゴリー: 雑感 タグ:

2008年を振り返って

2008 年 12 月 29 日 コメントはありません

年末なので2008年について振り返ってみようと思う。

まず、自分のことについていえば、今年は海外の有料サーバを利用したこととブログを始めたことが新たに始めたことである。

今までネットは利用してきたがどちらかといえばROM中心でネットで自分の考えをまとめたりする事など興味があまりなかった。

まとめサイトやブログを通して何かしらの反応があったり、意見を交換したりすることは今まで経験したこともなかったのですごく新鮮だった。

ネット以外のことをいえば昨年はあまりいいことはなかったが今年後半は今までやってきたことが認められるようになってきたと感じられる一年だった。

大きく変わった世論

自分のことはともかく2008年はいろいろな意味で時代の変わり目なのかなと感じる一年だったと思う。

自民党政治の終焉が見えてきた

郵政民営化で大勝ちした自民党だが先の参議委員選挙で負けて以来迷走を続けている。もう自民党には政権担当能力がないと判断した有権者も多いのではないだろうか?
時代の移り変わりに変化できず、時代に逆行する政党に有権者の多くは希望を持てないのだと思う。

いまの麻生総理の運営を見ているとどっちが与党かわかりずらい。
彼は何がしたいのだろうか?

オバマ大統領候補の勝利と新自由主義の敗北

オバマ氏が立候補したとき当選することを予測した人はどれくらいいたのだろうか?
オバマ氏が当選したことによりアメリカは変わるというメッセージをアメリカ国内だけでなく国外にも伝えることが出来たと思う。
オバマ氏は就任後はいろいろな困難があることは想像に難くないが、2008年末現在、アメリカで一番大きな「希望」なのではないだろうか。

また、ブッシュ政権で正しいとされた、「富裕層への優遇措置」、「イラク戦争」などは否定された形となった。

2009年はアメリカは大きく方向を代えるのではないかという期待している人は多いだろう。

米国を中心とした金融機関の破綻。

米国の大手金融機関はサブプライムローンの破綻などから軒並み問題が露呈した。
昨年まで好き放題していた大手金融機関はどこも破綻、もしくは政府の援助を要請している。
つい最近まで日本政府の経済政策について意見していた米国は金融機関に公的資金を注入するなど同じことをしているのは興味深い。

結局米国のやり方がベストではないと露呈した現在、日本は独自の経済政策を立案、実施できるチャンスだと思うのだが、このようなときに限り政治はリーダなき混沌とした状況である。

米国流経営効率化を唱えていた企業の矛盾が露呈

トヨタはつい最近まで絶好調であった。また経団連会長を輩出しているキヤノンもつい最近までは絶好調であった。

米国の経済が傾き、輸出量の低下や円高により企業の収益が下がると予測できるようになってから派遣労働者、非正規雇用を中心に人減らしを実行した。

景気のいいときは、出来るだけ安い賃金で人を雇い、必要がなくなれば人員を簡単に調整できる法律は制定時には意味があったのであろうが、今は悪用されていると感じる。

企業が人をどのような形であれ、雇うのであればやはり責任はあるのではないかと感じる。
内部留保もたくさん持っている企業が経営状態のことだけでなく、雇っていた人のことを気に留めないことは違和感を感じるのは自分だけなのだろうか?

原油価格の乱高下

金融危機が表面化するまで原油価格は1バレル200ドルを超えるのではないかという憶測が流れていたが、今現在は1バレル40ドルを割っている。
ガソリンが高くなってから車は売れなくなっているが、安くなった今でも車の販売量が増加したというニュースは聞かない。(もちろん今売れないのはガソリン価格の問題ではなく、金融の問題だと思うが、買わないことを選択している人が多くいると思う。)

毎日のように車を利用していた人でガソリンの高騰で車を手放した人もいると思うが、買わないという選択をしている人も多いと思う。
結局値段が安定しないエネルギー源は結局のところ消費者は選択しなくなるのではないだろうか?
今の一番の問題は石油の代替エネルギーがあまりなく、石油価格が下がったことで代替エネルギーの技術開発のモチベーションも下がっているのではないか?と思う。

どちらにしても価格が安定していないエネルギーはそのうち人気がなくなると思う。要は産業に必要な電気は必ずしも石油エネルギーである必要はなく、政治、経済にあまり左右されず十分安いエネルギーがあれば石油にとって代わる時代がくることを今回の石油の乱高下は示したのではないだろうか?

マスメディアの受難

日本では各新聞社、テレビ局ともに今期の決算内容はよくないようである。
これは景気の後退によるものだけでなく構造的に今の時代に合っていないからだと思う。
特に広告を収入の主としたテレビ局はその収入構造を見直さない限り改善することはないだろう。
また、新聞社は新しい報道のあり方を考える時期にあるのではないだろうか?
今までの新聞社間の競争は宅配販売による営業によるところが大きかったと思うのだが、これからは記事で差別化を図ってほしい。

マスコミの受難はネットの影響はほとんどなく、ネットがなくても利用者がお金を払うのに値しないと思っているからではないと思う。

2009年はどんな年になるのかな?

2007年に多くの専門家が2008年を予測できなかったように、2009年に起こる予想は軒並みはずれると思う。

たとえば、2008年夏、石油が1バレル200ドルを超えそうに高騰していた時期に現在の(2008年末)、1バレル40ドルを割るという状況を予想していた専門家は自分の知る限りいない。(いたかも知れないがすごく少数だったと思う。)

ただ、一つだけいえるのは2008年はいろいろな問題が表面化したのでその結果望もうとしなくても大きな変化がある年になるだろう。

今までの「もうけた奴が勝ち」という価値基準ではなく、「モラル」が重視される世の中になってほしいと望むが、人間は欲深いのでそんなことは一度には起きないだろう。今まで好き勝手してきたアメリカの金融機関は政府からの援助が必要ならば今までの方針を変えるしかなく行き過ぎた拝金主義は改善されるだろう。

誰にもある人間の尊厳を貶めることなんて許されないことだと思う。
金持ちはより金持ちに、そうでない人は交換可能なモノ扱いされる、2008年11月まで普通とされた価値観はやっぱりどう考えても間違っている。

どうか、2009年はよりよい世の中になりますように。

カテゴリー: 世論, 雑感 タグ:

広告に頼るビジネスって限界に来ているのではないかな?

2008 年 12 月 26 日 コメントはありません

最近、マスコミをはじめ広告収入に頼っているビジネスは苦戦しているようである。

J-CASTニュース : 毎日・産経が半期赤字転落 「新聞の危機」いよいよ表面化

J-CASTニュース : 「10社ぐらいはつぶれる」 テレビ不況で制作会社の受難

マスメディア複合不況〜すべて彼らの自業自得だ – 木走日記

マスメディアの未来 | De la tierra vientosa…

世界的な景気後退により大手スポンサーがお金を出せなくなったというのが直接的な理由なのかも知れないが、景気がよくなっても広告ビジネスは衰退していくような気がする。

消費者選択の多様化

昔と違い「いいもの」はたくさんある。性能や目新しさだけでは消費者は買わないのではない時代になっているのではないだろうか?

情報チャンネルの増加

今でもテレビ、新聞の影響力は大きいと考えられるが、ネットの出現によりすでに購入した人がレビューしてくれる。ネットが出来る人は購入前にレビューを見てから購入するのではないだろうか?そのような消費者が増えれば増えるほど広告をするよりいいものを作るのに投資をした方がいいと判断する企業があってもおかしくない。

費用対効果の算出の難しさ

広告を出す側からすると広告の効果をはかるのは案外難しい。きっちり計ろうとその分更なる経費が発生する可能性がある。またテレビの場合ハードディスクレコーダを利用していると広告を飛ばすことができるし、録画した番組は視聴率にカウントされない。

新たな技術の出現や社会風俗の変化にあわせて広告ビジネスも変わらざる得ない時代になってきたのではないだろうか?

ネット広告

人気の高いポータルサイトがリンクを貼ることで広告費を得るビジネスはWebが一般的になりつつあった1996年にはすでに存在していたと思うが、Amazonのアフリエートやgoogle adsenseなどで広告を貼ることで個人でも稼げる仕組みがある。

インターネットで利用できる無料のサービスもこのような仕組みを利用して収益を上げているようである。

この仕組みではアクセスをたくさん集めるサイトが収益を上げやすいのは自明の理であると思うが、この仕組みってテレビや新聞雑誌の広告の特性と似ていると思う。

ある程度ターゲティングしているとはいえ、出来るだけ多くの人に見てもらうことで広告効果を計る指標にしたりするところは全く同じ構造だ。

ネット広告を表示させないことも可能

技術的にはネット広告を表示させないことも可能である。たとえばfirefoxにはadblockやno scriptのようなプラグインを利用すれば広告の表示をかなり押さえることが可能である。

このようなプラグインが開発され広く利用されていることを考えると、ネット広告が邪魔だと思っている人が結構いることが分かる。

ネットに限らず広く不特定の人に周知することで評価する広告ビジネスは縮小するのではないだろうか?

未来の広告とマスコミはどうなるのか?

広告を出しても売り上げが上がらないと判断されるときがもう少ししたら来るのではないだろうか?もしくは現在既にそのように経営判断を下している企業も多く存在するのではないだろうか?
現在、各テレビ局、各新聞の報道する内容に大きな違いはなく不景気が長引くと広告ビジネスのあり方が問われる時代が来る。
テレビも新聞も視聴率、戸別販売やセンセーショナルな見出しだけではなく中身を充実させる必要があると思う。

実際に店頭販売が売り上げの多くを占めるスポーツ新聞や雑誌は中身の記事で勝負している。

民法各局は番組を作成するのに制作費を削りその負担を下請けに押し付けているようだが、長い目で見ればそのような産業が健全な繁栄を遂げるとは自分には思えない。

ある程度の経済力をもつ利用者は無料で見ることができる民法放送から有料で見れるケーブルテレビや、スカパー!などに流れるのではないだろうか。

嗜好の多様化により、今までのように万人に支持される番組を作ることは難しいと思う。

新しいアイディアは必ず出てくる

既存の広告方法はネットの口コミや嗜好の多様化などの時代の変化に対応しきれずその価値は下がるだろう。その結果広告単価の低下、制作費の低下、マスコミ関係者の給与の削減などが起こる可能性が高い。

一方ネットが登場したのと同時にネット広告を考えた人がいるように新しいアイディアはいくつか出てくるだろう。

ハイヤーに乗って取材する新聞記者やテレビ局社員というだけで高給をもらえることって変だと思う。やっぱりマスコミは何が求められているのか真摯に考える時代に来ている。

マスコミ各社も生き残りをかけて競争は激しくなり新しいマスコミのあり方を示せる会社しか残らないのではないだろうか?

カテゴリー: マスコミ タグ:

今年の読んでほしかったエントリー

2008 年 12 月 25 日 コメントはありません

まなめはうす」さんにエントリーを言及していただいたおかげでアクセスが急激に伸びました。

ありがとうございました。

その「まなめはうす」さんのブログで以下のような企画をされています。

304 Not Modified: 【TB企画】あなたのブログの中でおすすめのエントリを教えてください2008

お言葉に甘えて早速応募したいと思います。
この様な機会をくれた「まなめはうす」さんありがとうございました。


*

自分は最近ブログを始めたが、2ヶ月の間にいろいろな方に言及されたおかげで、ブログを始める前が1日に30ユニークアクセスぐらいだった本サイトも1日100ユニークアクセスは越えるようになってきた。

ただ、自分の筆力になかったせいか、本当に力を入れて書いたものは言及されず、力を抜いて書いたものが言及される事があった。

自分の書いたエントリーのベスト3は
2ちゃんねるだけが「悪」なのか?

このエントリーは何も2ちゃんねるだけに限らず、はてな、mixiでも当てはまるように書いたつもりである。ようは運営が自分のお願いを聞き入れてくれないことは2ちゃんねるだけに限った話ではなく、誹謗中傷も2ちゃんねる以外の場所で行われている。ネットの特性を考えればあるサイトだけを悪者にしてもあまり意味はないと思って書いたエントリーである。

誹謗中傷が行われていてもわざわざサービスの運営に苦情を言う必要があることについては小倉弁護士が
「文句があったら削除してやるから言ってこい」とうそぶいている状況

で言及している。

ネットの特性が理解できない人の発言の怖さ

このエントリーは始めて他の方に言及された記念すべきエントリーである。

まだブログを始めたばかりでうれしかったことを覚えている。

身の回りから感じる「実感」を「事実」や「常識」に変換するのは危険極まりない | WebとPCのメモ帳

ネットは保管庫

このエントリーはネットでは不注意に愚痴とか悪口とかを書くと、回り回って自分の正体がばれその結果自分にとって不利益な事が起こる可能性について実例をもとに自分の考えを述べた。

最近このエントリーで言及したことが実際に起こっている他の事例を見た。

悪口や愚痴はネットで書かない方がいいと思う。それで職を失う人もいるのだから。


*

以上、3点が私が選んだ私のベストエントリーです。

お暇なかたがいればぜひ読んでいただけるとうれしいです。

カテゴリー: blog, ネット タグ:

私は自分のためにブログを書いている。

2008 年 12 月 25 日 コメントはありません

ブログをはじめて2ヶ月近く。

はてなブックマークからはてなスターをつけてもらって、それで楽しくってブログを書くことをはじめた。

結構自分の考えを今までまとめて書くということはなかったので、発見の毎日である。

今日、はてブで

僕のブログは誰が読んでいるの?僕は誰に向けて書いているの? – 真性引き篭もり

を読んだ。

題名についてはブログを書いている人はみんな思っていることだと思う。ブログをはじめてさっぱり反応がなかったときはどうしたらアクセスう数が増えるのか色々考えたものだ。

だからはてブもしたし、このようにエントリーを書いている。

確かなことは、僕が、こうして、悪戦苦闘して、ブログを書き続けてきて、幸せになった人はただの1人も存在しないという事だ。僕がブログを書いて、書き続けてきて、喜ぶ人は1人も存在しないという事だ。たとえば喜ぶ人が、あるいは幸せになる人が存在しているとすれば、それは僕の身の破滅を喜ぶ人であり、僕の身の破滅に幸福感を覚える人だけだ。

彼の過去を知らない自分としては何でそのような結論に至るのかは疑問であるが、少なくても自分は彼の不幸を望んでいない。

逆にエントリーのネタを提供してもらって感謝しているし、ブログをなぜ書くのか考えるきっかけを作ってもらって「幸せ」だと思う。

R30とかいう人が
>今後は知り合いでもない方々に自分の論考を
>タダでは提供しないことに決めたので、あしからず
とか書いていたが、では、そうであるとしたら僕はどこへ行けばいい?知り合いなんていないよ。論考なんてないよ。かつてここにあったのは僕の全てだ。そして、知り合いなんて1人もいない。僕はどこへ行けばいい?どうすればいい?こんなくだらない場所で、こんな忌々しい場所で、何かを書き、何かを記す事になんの意味がある?どうせこれまでもそうであったように、僕が悩み、苦しみ、意気込んで、猛烈に書けば書く程に、どこかで誰かが破滅するんだろう?僕自身にしたって、似たようなものなんだろう。ブログなんて書き始めるんじゃなかった。ブログなんて読むんじゃなかった。だがもうしかし手遅れだ。せめてもう少しブログが上手く書けたなら。もっと頑張ってブログを書いていたらば。ブログを書き続ける苦しさに背を向けて逃げ出したりしていなければ。踏みとどまって頑張っていれば。

まあ、ネットで自分が一生懸命書いたものに対して冷ややかな反応や的外れなコメントしかもらえなかったら「R30」さんのような反応をするのは自然だともいえると思うが、そもそもブログを書くことで何か大きな見返りをするから苦しむのかなと思う。

けど、そんなことを言っている自分ももっとアクセスが増え注目してほしいなとスケベ心もあるので言っていることは「破滅」うんぬんのくだり以外は理解できる。

また、時間をかけて書いたものはあまり読まれなくて、いい加減に書いたものが結構読まれたりすると、結局タイトルしか見ていないのかなと思ったり、まあどうでもいいことで悩んだりもする。

けど引き続き自分が信じていることや考えていることはまとめて書くつもり。

最近、アクセス数や周りの反応を気にすることより自分の考えを整理する為に書こうと思ってから、何のためにブログを書いているのか悩むことは少なくなった。(たった2ヶ月しかしていない新参者の自分はもしかしてそのようなことを言う資格はないかもしれないが)

最後に「真性引き篭もり」さんがんばって下さい。新しいエントリーを楽しみにしています。

カテゴリー: blog, ネット タグ: ,

上を見ればきりがない

2008 年 12 月 24 日 コメントはありません

いま、現状に満足していない人って結構たくさんいると思う。
特に今現在は米国の金融危機に端を発した世界的な景気後退が始まりつつあり将来に不安に思っている人も多いのではないだろうか?

自分は毎日ニュースをみて暗い気持ちになる。早く明るいニュースが出てこないかなと毎日思う。

現状で満足できるか?

先日「ハリウッドランド」という映画を見た。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。

スーパーマンとして有名になった俳優の悲劇である。
この映画で俳優のエージェントが
「彼はスーパーマンで満足していればよかった。そしたら一生全うできたのに。」
ということをいっていたが、その俳優の不幸はそのことに満足せず、さらに上を目指そうとしたことであった。

もちろん向上心を持つことは必要であると考えるが、必要以上に求めても結局自分を苦しめるだけではないだろうか?
現状を冷静に鑑みて満足することは今のような世の中では生き抜くために必要なスキルだと思う。

苦しいときこそじっとすることも必要

苦しいときにこそ焦らずに一つ一つ自分の問題を整理してじっくり考えることが必要ではないだろうか?
もちろん、周りを見渡せば自分より幸せそうな人もいるだろう。
けど、人のことをうらやましがっても問題の解決にならないと思う。

明けない夜はない

経済状況がこれからどうなるか自分は予想できないが、状況はいずれ変わる。
不況はもちろん悪いことだと思うが、今までのシステムの悪いところが見直され、存在が必要ないとされれば淘汰されるのではないだろうか。(勝ち組みたいな言葉なんて真っ先になくなればいいのに)

きっと、じっとして我慢して周りをよく観察していれば、いいときも来る。明けない夜はないのだから。

カテゴリー: 雑感 タグ:

沈黙せずに反論するには。

2008 年 12 月 23 日 コメントはありません

まなめはうす :2008-12-23 (Tue) 10:18:ニュース で「★黙して語らずがいいときもある」についての言及がありました。

揉め事で黙るということは、自分に考える時間を与えること、相手に時間を与えること、そして読者に横槍を入れる時間を与えること。黙ることが良いのではなく、そのとき黙ることで何が起きるかを考えるべき。

言及していただいてありがとうございます。確かにそのとおりだと思います。

どうしても議論を続ける場合、以下の点について考慮する必要があるのではないだろうか?

  • 議論を続けて何かしらの結論が出るか
  • 議論を続けるのにふさわしい相手か?
  • 議論を続ける場合その場(掲示板)などは最適な場か?

議論をやめれない人」でも書いているとおりどうしても自分の考えをまとめた「まとめサイト」を作成することは重要なのではないだろうか?

「まとめサイト」を作るとき(自分の意見に対して)反対派の意見や主張もまとめることにより、論点を整理することができる。また、そのようにすることによって自分の考え方を整理して表明することでその議論を見ている人たちがあなたの意見に賛同してくれるかどうかは保障できないがあなたが何を言いたいかは理解しやすくなるのではないだろうか?

議論が煮詰まったときは第三者にもわかるようなまとめサイトが必要だと思う。最近だと反対派の意見も取り込むことができるwikiなどの無料サービスを活用するのもいいだろう。

カテゴリー: ネット, 議論 タグ:

議論をやめれない人

2008 年 12 月 22 日 コメントはありません

ネットで発言することに向かない人って確かに存在する。 ネットは自分の考えたことをそのまま発言できる、けどその発言に突っ込まれたりするのは当然起こりえることだからだ。

関連リンク

勝手にリンクが張られて反論されるのは当たり前

ソーシャルブックマークと気にくわないコメント

議論に執着

荒れやすい話題の一つに「陰謀論」などがある、これはネットに限らず真実は確認できないので諸説入り乱れるし、真実は何か確認することは不可能ではないが難しいので議論を続けようと思うと延々と続けることが出来る。 簡単に検証できるもの以外はネットだけの議論では結論を出すことは難しいのではないだろうか?

議論よりも揚げ足取り

議論が煮詰まっているくると話し合っていてもどっちが正しいかどちらか一方がゆずれば問題はないがそのような段階になると揚げ足取りだけをする人がいる。 議論に勝つ為に相手を感情的にさせることで議論の中身よりも、議論の進め方に対してけちをつける人がいる。 「煽り」という言葉がネットで使われているのはそのようなことをする人がそれほど少なくないからである。 人によっては議論の勝ち負けにあまりにもこだわるあまりに、相手の人格攻撃を行ったりする人がいる。 このような状況に陥ったらもうその相手と議論を続ける意味はない。

荒らしと呼ばれたら

もしあなたが荒らしと呼ばれたら、書き込みをいったんやめて過去の書き込みを見直した方がいい。 おそらく、問題のある発言をどこかでしているはずである。 それでも自分が問題のある発言をしていないというのであれば相手がしているはずであるが、そのようなことを指摘してもさらに荒れるだけではないだろうか? したがって、そのような状態になったら、掲示板での議論はやめた方がいい。

ではどうすべきか?

議論は、掲示板、ブログのコメント欄で行われることが多いと思うが、これらの情報はあとで第三者が見たときに一見何が言いたいのかわからないことがある。 たとえば2ちゃんねるなどで採用されているスレッド形式の掲示板では、議論が活発に行われているときにはわかるが、後で読み返すとさっぱりわからないことがある。 そこで「まとめサイト」なるものが登場するわけだが大きく分けて2つのスタンスがあると思う。

  • あくまでも第三者からの視点で淡々とまとめる
  • 自分が主張したい内容の補足材料として掲示板で行われた議論を引用する。

まとめサイトというと第三者視点のものを想像する人がいるので自分の主張に沿ってまとめる場合はどの立場でまとめるのか表明した方がいい。

参考リンク

「まとめサイト」に騙されないために – みずましにっき

「まとめサイト」を作ることにより議論のたたき台になるし、自分がいいたいことを自分の中で整理できるから、もし議論を続けたいのであれば選択肢の一つとして考えたほうがいいのではないだろうか?

カテゴリー: ネット, 議論 タグ:

黙して語らずがいいときもある

2008 年 12 月 19 日 コメントはありません

ネットに限らず意見の食い違いがあった場合トラブルが起こることはあると思う。
ネットでないところでは、相手の反応もリアルタイムに見えるので瞬間的に感情的になっても、相手の心情も分かるので深刻なトラブルを回避できる可能性があると思う。

ネットで過激な発言をする人がいると思うが、ネットで書かれることは時に検索エンジン、魚拓などで保存されることがあり、削除しても自分が予期せぬところから過去の恥ずかしい発言として引っ張り出されるかも知れない。

野次馬天国

ネットは野次馬にとってトラブルを比較的簡単に見れたりする場所なのではないだろうか?
たとえばブログが炎上しただの、mixiでついうっかり犯罪自慢をしたら2ちゃんに晒されたりなどのトラブルはネットでは特別な事ではなく日常的に見ることが出来る。

それらの野次馬にとってはなにかからかう材料があればいいので、野次馬に見られたくなかったらその野次馬に対して反応するべきではないと思う。

アクセスを集めるのに罵倒は有効、けど、、、

トラブった内容をいちいちネットに上げる人がいる。
野次馬は他人のトラブルを見るのが好きだ。ネットでは簡単に1,000人ぐらいからアクセスされることになる。
そのようなトラブルを見つけた人がSBMや2ちゃんねるなどに情報を上げることによりアクセスは加速度的にあがる。

トラブった内容を書くことによってその書いた一瞬だけ胸がすっとするかも知れないが、それって余計ストレスがたまるのではないかなと思う。

悪いと思う理由について書いてみると

  • 書いたことによって根本的な解決にならない
  • トラブった相手が見たときに更なるトラブルが発生するかも。
  • 言い争いが激しくなると、SBM、掲示板などに晒し上げられ予想できない事態に発生するかも。
  • 多くの人に見られたらリアルでつきあいのある人に見られ、あなたのことをこころよく思っていなかった場合、リアルで起こったことを暴露されるかも。

沈黙は重要

ネットでは沈黙することも重要なテクニックだと考えている。
たとえば、ネットでとことん議論して言い負かしたところで何か得になることはあるのだろうか?ということをよく考えた方がいいと思う。
議論をふっかけてくる輩の中にはあなたが書いたことを表面的にしか読まない人間もいるのではないだろうか?
また、あなたの書いた文章だって興奮して書いたときは誤読しやすいことを書く確率が高いのではないだろうか?

議論相手がそもそもあなたがエネルギーを費やしてあなたのことを理解できる人なのだろうか?

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

カテゴリー: ネット タグ: