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2008 年 12 月 のアーカイブ

「常識」を前提にした不毛な議論

2008 年 12 月 2 日 コメントはありません

ネットで誰かと議論するとき「常識」を振りかざしたり相手の人格を傷つけるようなことを指摘して自分のいっていることが正しいと主張する人がいる。

そのようなときはネットにはいろいろな人がいるとあきらめて議論を中断した方がいい。
多分、そのようなことをいう人は正常な精神状態ではないか、またはどこにいっても人とのコミュニケーションにおいて問題を起こすような人だからだ。

そのような人物に対していつまでもつきあってあげる必要はない。つきあうエネルギーと時間は絶対に無駄になるからだ。

ネットを趣味でやっているのなら必要以上にエネルギーを費やす必要はない。

自分が正しいと過信すること

ネットで自分の考え方を書くことってエネルギーを使うし、下手したらトラブルに巻き込まれる可能性もあるのになんでみんな書くのだろうか?
なにかどうしても自分が考えていることを理解してほしい。またその思いを共感してほしいと思うから書くのだと思う。
けどその思いが強いとどうしても自分の思いや考え方を押し付けることになると思うのだ。

これはブログだけにとどまらず、2ちゃんねるのような掲示板、mixiのようなSNSでも傾向は同じではないだろうか?

自分のことを100%理解してもらえないと思った方がいいのでは?

親子でも100%理解できないと思う。少なくても自分は100%親のことを理解できているとは言えない。
ネットでは基本的にテキストでの議論が多いと思うのだが、ほとんど会ったことがなくこれからも会うことがないであろう人から完全に理解されかつ理解するということはすごく難しいのではないかと感じている。

実際に会ったことのない人とネットだけで理解されることは期待するべきではないと考えた方がいいのではないだろうか?

人の考え方はそれぞれ違うということ

あるまとめサイトを自分は運営しているのだが自分のしていることが絶対に正しいという自信はない。
特に第三者が私のサイトをみて私のしていることが「100%の正義」であると思ってくれることはぜんぜん期待していない。ただ、このサイトを必要としてくれる人がいると信じるに足ることがあったのでずっと運営は続けるつもりだ。

このサイトを運営してよく理解できたことは
自分の正義感を押し付けてはいけない
ということだ。

自分の考えを押し付けるのは荒れるもと

ある事柄について話しているときにどうしても受け入れることが出来ない考え方を持つ人がいる。そのときには対処方法は大きく分けて2つあると思う。

  • 徹底的に議論する。
  • 徹底的に無視する。

どちらが正しいかは自分は断定できない。話している話題と相手と場によると思う。

必要以上に熱くならない。

どちらの方法を採るにしても気を付ける必要があるのが感情的にならないということだと思う。
熱くなりすぎて相手の人格を傷つけるような発言をすれば収拾がつかなくなる。

自分の常識は何かを語らない

相手の主張していることが自分の「常識」と違うからといって、そのまま『あなたは非常識ですね。』といったらだめなような気がする。
そのようなことを言えば「話すのは無駄だ」といっているようなものだからだ。

議論を続けたいのであれば自分の「常識」が正しいかをよく考えた方がいい。

そのように思うときには正確な判断は出来ていないはずなのでしばらくその議論話題から離れた方がいいのではないだろうか?

ネットに過剰な期待はしない方がいい

仕事で知り合ったり、学校で知り合ったりする人間関係とは違いネットで知り合うことで出来ることいえば軽い共感が得られるぐらいではないだろうか?

リアルなつきあいでは苦手な人と付き合わなければいけないときがあるが、ネットではイヤになれば無理に付き合う必要がない。

したがって完全に理解してもらう必要はないのではないだろうか。

追記:書き上げた後に自分が共感したブログがありました。

■自分の好きな物や信じてる物を否定されると話が通じなくなる人が身の回りに多くて困る
こういう人たちと上手く付き合う方法はない物か。

そういう人たちとネットではなく実際に付き合っていくのって大変だと思うが、ネットであろうとそうでなかろうと相手にあわせて聞いてあげるということも重要な気がする。

ただそれを本当に実行するのは大変だと思う。


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カテゴリー: ネット, 議論, 雑感 タグ: ,

人は本当に真実だけを求めているのだろうか?

2008 年 12 月 1 日 コメントはありません

世の中には嘘がたくさん存在する。

けどそのような嘘が嘘と認識されずに本当のことだと思われることが多い。

既存のメディアはネットに嘘や誹謗中傷があふれかえっていることを指摘するが、それは何もネットに限ったことではない。

なぜ嘘がまかり通るのだろうか?

たとえばイラク戦争は「イラクに大量破壊兵器がある」と嘘の報告を元に始められた。

実際にはたくさんの人がその情報を信じてイラク戦争開戦に賛成しそのときのブッシュ大統領の支持率は非常に高かった。

もちろん、メディアがだらしなかったからだということも考えられるが、それだけではないと思う。

人は自分が想像できる情報を信じてしまう傾向があるのではないだろうか?

2008年11月下旬の現在から見ると、「ブッシュってバカだな。今の米国の惨状はすべてブッシュのせいだ」といった感想を持つ人も多いと思うが、911からイラク戦争開戦までの状況を考えてみると、イラクと戦争をしたがっていたのはブッシュだけではないはずだ。

ブッシュは悪の枢軸などといって煽りまくっていたがやはり911はアメリカ国民がヒステリックになってもおかしくない大事件だったのではないだろうか?

911がなければアフガン侵攻もイラク戦争もなかったと思う。
911によりアメリカ国民は戦争を辞さずという気分になったのだろう。実際に911後はブッシュ大統領の支持率は上がり、愛国法まで制定されたのだから、

もし911後のアメリカにいたなら

もし、今タイムマシーンがあって911直後のアメリカにいって2008年12月の状況をその場にいる人に報告したらその人は信じるのだろうか?

いくつかのことは信じられないのではないだろうか。

  • アメリカの金融システムの崩壊
  • G20の台頭とドルへの不信
  • ビック3の経営危機
  • 黒人大統領の登場
  • アメリカは2008年までの新自由主義を放棄してその反動があるかも

仮定の話なので断定することがないが、2001年にこのようなことが2008年に起こると言われていたとしても自分は信じなかったと思う。

それは2001年の自分にとっては、自分の想像の範囲を超えているからだ。

人は自分の興味があること想像できることしか見ない

サブプライムローンの危険性については2年ほど前から有識者によって指摘されてきた。
金融の中心にいる人もそのような指摘をされていることは気づいていたと思う。けどなぜ本当に市場がクラッシュするまで対策を取らなかったのだろうか?

自分は金融機関にいたわけでもないので想像するしかない。

  • 指摘されていたことは気づいていたが、見て見ないふりをしていた。
  • 指摘されていたことがそもそも理解できなかった。
  • 指摘されていたことは理解できたが、金融機関は傲慢で何とかなると思っていた。
  • 気づいていたが市場が加熱しすぎていて金融機関はどうすることも出来なかった。

どれが本当なのか分からない。けど警告されていたのにも関わらず事前にほとんどきちんとした対策を取らなかったことは事実だと思う。
そもそもチューリップバブルに始まり様々なバブルを人間は経験しているのになんで何回も同じことが起こるのだろうか?

「嘘」は世界をも動かす

嘘と真実の境目はその事象から遠くにいる人や近くにいる人からは曖昧なものなのだろう。
もしアメリカの金融が絶好調の時にその場にいたらサブプライム問題について指摘されたとしても自分は指摘されたことに対して感情的に反発したかもしれない。

結局自分が分かることは「嘘」にだまされる人が多いほど「嘘」が世界を動かすということだけだ。

けど、「嘘」で犠牲になる人がいるっていうことは「不条理」だと思う。
イラクで殺された人は今のアメリカを見てどう思うんだろうか?

嘘を見破るには「常識」を捨てる勇気が必要

ある情報をみて信じるかどうかは受け手の「常識」によるのではないだろうか?

911後のアメリカ国民の過剰反応は「未知の」イスラム教徒に対する誤解も存分にあったと思う。
ネットに限らず自分の持っている「常識」を疑う勇気を持たない限り嘘は見破れないのではないのではないだろうか?


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