Archive
無料モデルはネットだけでなく既存のメディアも含まれるはずである。
広告に頼るビジネスって限界に来ているのではないかな?


最近、マスコミをはじめ広告収入に頼っているビジネスは苦戦しているようである。
J-CASTニュース : 毎日・産経が半期赤字転落 「新聞の危機」いよいよ表面化
J-CASTニュース : 「10社ぐらいはつぶれる」 テレビ不況で制作会社の受難
マスメディアの未来 | De la tierra vientosa…
世界的な景気後退により大手スポンサーがお金を出せなくなったというのが直接的な理由なのかも知れないが、景気がよくなっても広告ビジネスは衰退していくような気がする。
消費者選択の多様化
昔と違い「いいもの」はたくさんある。性能や目新しさだけでは消費者は買わないのではない時代になっているのではないだろうか?
情報チャンネルの増加
今でもテレビ、新聞の影響力は大きいと考えられるが、ネットの出現によりすでに購入した人がレビューしてくれる。ネットが出来る人は購入前にレビューを見てから購入するのではないだろうか?そのような消費者が増えれば増えるほど広告をするよりいいものを作るのに投資をした方がいいと判断する企業があってもおかしくない。
費用対効果の算出の難しさ
広告を出す側からすると広告の効果をはかるのは案外難しい。きっちり計ろうとその分更なる経費が発生する可能性がある。またテレビの場合ハードディスクレコーダを利用していると広告を飛ばすことができるし、録画した番組は視聴率にカウントされない。
新たな技術の出現や社会風俗の変化にあわせて広告ビジネスも変わらざる得ない時代になってきたのではないだろうか?
ネット広告
人気の高いポータルサイトがリンクを貼ることで広告費を得るビジネスはWebが一般的になりつつあった1996年にはすでに存在していたと思うが、Amazonのアフリエートやgoogle adsenseなどで広告を貼ることで個人でも稼げる仕組みがある。
インターネットで利用できる無料のサービスもこのような仕組みを利用して収益を上げているようである。
この仕組みではアクセスをたくさん集めるサイトが収益を上げやすいのは自明の理であると思うが、この仕組みってテレビや新聞雑誌の広告の特性と似ていると思う。
ある程度ターゲティングしているとはいえ、出来るだけ多くの人に見てもらうことで広告効果を計る指標にしたりするところは全く同じ構造だ。
ネット広告を表示させないことも可能
技術的にはネット広告を表示させないことも可能である。たとえばfirefoxにはadblockやno scriptのようなプラグインを利用すれば広告の表示をかなり押さえることが可能である。
このようなプラグインが開発され広く利用されていることを考えると、ネット広告が邪魔だと思っている人が結構いることが分かる。
ネットに限らず広く不特定の人に周知することで評価する広告ビジネスは縮小するのではないだろうか?
未来の広告とマスコミはどうなるのか?
広告を出しても売り上げが上がらないと判断されるときがもう少ししたら来るのではないだろうか?もしくは現在既にそのように経営判断を下している企業も多く存在するのではないだろうか?
現在、各テレビ局、各新聞の報道する内容に大きな違いはなく不景気が長引くと広告ビジネスのあり方が問われる時代が来る。
テレビも新聞も視聴率、戸別販売やセンセーショナルな見出しだけではなく中身を充実させる必要があると思う。
実際に店頭販売が売り上げの多くを占めるスポーツ新聞や雑誌は中身の記事で勝負している。
民法各局は番組を作成するのに制作費を削りその負担を下請けに押し付けているようだが、長い目で見ればそのような産業が健全な繁栄を遂げるとは自分には思えない。
ある程度の経済力をもつ利用者は無料で見ることができる民法放送から有料で見れるケーブルテレビや、スカパー!などに流れるのではないだろうか。
嗜好の多様化により、今までのように万人に支持される番組を作ることは難しいと思う。
新しいアイディアは必ず出てくる
既存の広告方法はネットの口コミや嗜好の多様化などの時代の変化に対応しきれずその価値は下がるだろう。その結果広告単価の低下、制作費の低下、マスコミ関係者の給与の削減などが起こる可能性が高い。
一方ネットが登場したのと同時にネット広告を考えた人がいるように新しいアイディアはいくつか出てくるだろう。
ハイヤーに乗って取材する新聞記者やテレビ局社員というだけで高給をもらえることって変だと思う。やっぱりマスコミは何が求められているのか真摯に考える時代に来ている。
マスコミ各社も生き残りをかけて競争は激しくなり新しいマスコミのあり方を示せる会社しか残らないのではないだろうか?
mixiってみんなが望んでいるSNSなのだろうか?


みんなmixiに飽きた?
mixiは日本で最も本音が言えないコミュニティになってきたのかもしれない になぜmixiに飽きたか実際の利用者が意見を述べている。
ぐだぐだ長いエントリーを書きますが要するにこういうことです。
・ブログは本音が言える匿名/非匿名コミュニティ。
・mixiは本音が言えない非匿名コミュニティ。っていかもう何も書きたくない。
マイミクにネット外での友達がいると誰か特定される可能性が高くなる。これではストレスを感じるユーザがいてもおかしくない。
またこのエントリーの作者だけでなく日本ではSNSの人気が少なくなって来たようである。
SNS利用者の4割強が「アクセス回数以前より減った」 ~SNSから始まる恋「アリだと思う」も6割半から5割に減少 – アイシェア リサーチ
もう飽きた? 「SNSへのアクセス減った」が4割 – ITmedia News
最大手のmixiもきっとこれらのニュースをみて対策に頭を悩ませるんじゃないだろうか?
要は利用者次第
mixiは利用方法によっては凶器にもなると思う。
上のリンクを読んでいただくと分かるが特定の人を批判しながら、本人には知られないように日記を書けるらしい。 このようなことを自分がされたらmixiやめちゃうかも。
mixi疲れにならないために – しげっと! ではmixiで疲れない利用方法について論じている。
自分は「リアル友人との近況報告用」みたいな位置づけでmixiを利用しており、具体的には日記を通じて高専や専攻科の同級生の近況を知ったり、忘年会や新年会などのイベントを開催するときの連絡用としてコミュニティなどを利用しています。
SNSを快適に利用するためにはある程度割り切った方法が必要なのではないだろうか? けど最初にSNSが喧伝されたとき元々ある友人とオンラインでつながり、更に友達の友達とも知り合うことが出来ることが出来るというのを売りにしていたと思うので後者のような使い方をSNSのサービス提供者も利用者も望んでいたように思う。
mixi は SNSではなくてmixi
mixi疲れにならないために – しげっと!のような利用者ばかりだとなかなかページビューも稼げなくて運営会社にとってあんまり望ましいユーザではないのではないだろうか?
コミュニティ機能やニュースから日記が書ける機能はあるが、これってSNSでどうしても必須な機能なのだろうか? 趣味を通して知り合うのであれば何も本来のSNSではなくてもいいような気がする。
要はユーザを増やしつつユーザに広告を表示させるのであればSNSの最低限の機能だけではなくいろいろ追加した結果今のような形になったのではないだろうか?
小規模なSNSの方がSNSぽいことが出来るのでは?
mixiは大きくなりすぎしかもmixi内でインターネットの他のサービスと同様な(代わり映えのしない)サービスを提供している。 おそらくSNSで一番有効な差別化は入会する敷居の高さと入会したいなと思わせる「ブランド」だと思うのだが、お金を払ってまでサービスを受ける習慣がないインターネットでは難しいような気がする。 mixiはそろそろSNSだけではなくその他のサービスを考える時期に来ているのではないだろうか?
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
人は本当に真実だけを求めているのだろうか?


世の中には嘘がたくさん存在する。
けどそのような嘘が嘘と認識されずに本当のことだと思われることが多い。
既存のメディアはネットに嘘や誹謗中傷があふれかえっていることを指摘するが、それは何もネットに限ったことではない。
なぜ嘘がまかり通るのだろうか?
たとえばイラク戦争は「イラクに大量破壊兵器がある」と嘘の報告を元に始められた。
実際にはたくさんの人がその情報を信じてイラク戦争開戦に賛成しそのときのブッシュ大統領の支持率は非常に高かった。
もちろん、メディアがだらしなかったからだということも考えられるが、それだけではないと思う。
人は自分が想像できる情報を信じてしまう傾向があるのではないだろうか?
2008年11月下旬の現在から見ると、「ブッシュってバカだな。今の米国の惨状はすべてブッシュのせいだ」といった感想を持つ人も多いと思うが、911からイラク戦争開戦までの状況を考えてみると、イラクと戦争をしたがっていたのはブッシュだけではないはずだ。
ブッシュは悪の枢軸などといって煽りまくっていたがやはり911はアメリカ国民がヒステリックになってもおかしくない大事件だったのではないだろうか?
911がなければアフガン侵攻もイラク戦争もなかったと思う。
911によりアメリカ国民は戦争を辞さずという気分になったのだろう。実際に911後はブッシュ大統領の支持率は上がり、愛国法まで制定されたのだから、
もし911後のアメリカにいたなら
もし、今タイムマシーンがあって911直後のアメリカにいって2008年12月の状況をその場にいる人に報告したらその人は信じるのだろうか?
いくつかのことは信じられないのではないだろうか。
- アメリカの金融システムの崩壊
- G20の台頭とドルへの不信
- ビック3の経営危機
- 黒人大統領の登場
- アメリカは2008年までの新自由主義を放棄してその反動があるかも
仮定の話なので断定することがないが、2001年にこのようなことが2008年に起こると言われていたとしても自分は信じなかったと思う。
それは2001年の自分にとっては、自分の想像の範囲を超えているからだ。
人は自分の興味があること想像できることしか見ない
サブプライムローンの危険性については2年ほど前から有識者によって指摘されてきた。
金融の中心にいる人もそのような指摘をされていることは気づいていたと思う。けどなぜ本当に市場がクラッシュするまで対策を取らなかったのだろうか?
自分は金融機関にいたわけでもないので想像するしかない。
- 指摘されていたことは気づいていたが、見て見ないふりをしていた。
- 指摘されていたことがそもそも理解できなかった。
- 指摘されていたことは理解できたが、金融機関は傲慢で何とかなると思っていた。
- 気づいていたが市場が加熱しすぎていて金融機関はどうすることも出来なかった。
どれが本当なのか分からない。けど警告されていたのにも関わらず事前にほとんどきちんとした対策を取らなかったことは事実だと思う。
そもそもチューリップバブルに始まり様々なバブルを人間は経験しているのになんで何回も同じことが起こるのだろうか?
「嘘」は世界をも動かす
嘘と真実の境目はその事象から遠くにいる人や近くにいる人からは曖昧なものなのだろう。
もしアメリカの金融が絶好調の時にその場にいたらサブプライム問題について指摘されたとしても自分は指摘されたことに対して感情的に反発したかもしれない。
結局自分が分かることは「嘘」にだまされる人が多いほど「嘘」が世界を動かすということだけだ。
けど、「嘘」で犠牲になる人がいるっていうことは「不条理」だと思う。
イラクで殺された人は今のアメリカを見てどう思うんだろうか?
嘘を見破るには「常識」を捨てる勇気が必要
ある情報をみて信じるかどうかは受け手の「常識」によるのではないだろうか?
911後のアメリカ国民の過剰反応は「未知の」イスラム教徒に対する誤解も存分にあったと思う。
ネットに限らず自分の持っている「常識」を疑う勇気を持たない限り嘘は見破れないのではないのではないだろうか?
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
匿名が好き 無責任な論壇


しばしば匿名性があるからインターネットは問題があるということがいわれるが本当の事だろうか?
ある本を読んでそれはもしかしてネット特有の問題ではなく、言ったことに対して責任をとりたくない場合誰でも匿名性は魅力を感じるのではないかと思った。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。
匿名性の魅力
本書ではプロの(日本の新聞社に勤めるの自称)ジャーナリストですらも匿名に対して魅力を感じていることについて指摘している。
匿名であれば文責なども問われることなく好き勝手な事が言えるからだ。
この本の作者はひたすら日本の特に新聞社の記者と、筆者が昔勤めていたニューヨークタイムズとを比較して日本と米国のジャーナリストに対する仕事の仕方などの違いについて論じている。
筆者が前に勤めていたニューヨークタイムズでは誰がその記事を書いたか、また情報源についても(さらされることにより情報提供者が著しい被害を受けることが予想されない限り)原則だれかを記名しなければいけない。しかしながら日本だと記事の作者は記名する必要もなく情報源についてもほとんどの場合ボヤかして書かれる。
本書で「朝日新聞の政治家によるNHKに対する圧力」の誤報についてかかれているが、この事件は明らかに朝日新聞の誤報である。しかしながら、このことについて朝日新聞は正式に謝罪したことはない。また誤報の記事を書いた記者が社会的な制裁を受けておらず、そもそもどうして誤報が行われたのか朝日新聞からの説明は今のところない。
日本の言論界、ジャーナリズムを代表している新聞メディアですら、「噂」をベースにした記事で新聞を発行していると言われても仕方がないのではないだろうか?
匿名性があるところでしか発言できない人がいるのは間違いないが、日本での代表的な言論機関でさえ記名報道をしていない現在、個人運営のサイトで名を明かして情報を発信しない人がほとんどなのは当然ではないだろうか?


最近のコメント